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人間の苦しみは『比較』から生まれる

世の中は比較でできています。
周りと比較して今の自分の立ち位置を確認する。
誰かと比較して今の自分のレベルを認識する。

しかし人間の苦しみを生み出しているものはすべて『比較』です。

誰かと比較するから自信を失くしていくし、誰かと比較をされることで苦しくなります。

日本だと子供の頃からずっと比較される教育なのでいきなり比較から逃れようとしてもなかなか難しいと思います。

テストの点数や数字で比較したほうがわかりやすいからそれで優劣評価をされていますがそもそも人間の魅力なんて数値化することなんてできないとぼくは考えています。一人ひとりの美しさを数値化しようと思っても絶対に無理なはずです。それぞれに素晴らしい点があり、それぞれでしか生み出せない価値があります。それを個性と呼んだりしますが今の世の中はその個性を発揮することが歓迎されていないような気がします。

ぼくは大手企業を数社経験してきましたが、多くの大企業の仕組みこそ個性を徹底排除している今の社会の構図だと思います。会社の定めた平均点を超えることが正解であり、その基準を大きく上回る結果を出した者だけが人間として有能、優秀とされる。ぼくもそれが正解だと勘違いして長年それを追求してきました。そんな中、一時的に結果を出すこともでき高く評価をしてもらったこともあります。

しかしずっと違和感を感じていました。

人間的に素晴らしいけど数字をつくれない後輩を評価することができない仕組みに違和感を感じていました。

人を踏み台にして数字をつくっている先輩が会社から評価されているその仕組みに違和感を感じていました。

一人ひとりの違いや美しさを認める社会


確かに数字で比較して上か下かを評価するほうが会社にとって都合がいいし、みんなにわかりやすくなります。逆に個性なんてあいまいなもので評価しようと思ってもどう評価すればいいか非常にわかりづらいですし会社の規模が大きくなればそんなものに囚われることが大きな妨げとなります。

でも今や規模が大きいことはスケールメリットではなくスケールデメリットになりつつあります。

より便利に、より快適に、と追求してきましたがもうすでにかなり便利ですしかなり快適です。

だからこそここで一度立ち止まり、一人ひとりの違いや美しさを認め合ってそれで成り立っていける社会になれば嬉しいなと思います。きれいごとのようですがそういう社会になればいいなとぼくは本気で考えています。

比較されない社会が美しい社会だと思う

自分の個性とは何かが明確になり、それを輝かせることができればもう誰かと比較する必要も感じなくなります。

ぼくの仕事は企業のブランディングですが、最も大切にしていることは一人ひとりの美しさを明確にしていくことです。その美しさが社会で輝き、選ばれる企業になるようお手伝いすること。比較して上か下かではなく、比較されない存在になること。それがブランディングだと考えています。

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