昨日9月19日は親友のような存在だった3歳年下の弟の命日。
4年前、バイク事故であっさりと死んでしまいました。40歳で。
友の模範となるように、友範(とものり)と名付けたと両親からずっと昔に聞いたことがあります。
大切な存在を亡くしてすぐだとつい色々と考えてしまうものです。特に夜になると。ぼーっと考えながら何気なく目の前にあった紙に、そこに転がっていたペンを手に取り弟の名前を書いたことがありました。
特に何か意味があって書いたわけではなかったんです。なんとなくでした。その時にふと思いました。この先、誰かの手によって弟の名前が書かれる機会ってどのくらいあるんだろうと。残された奥さんやこどもたちが書く機会もほぼ無いのだろうと考えるとちょっと寂しくもあり、なんとなくかわいそうな気持ちになりました。
それ以来、急に書道を始め、毎朝弟の名前を何度も書いています。
書道を習ったことはないので基礎がなっていないというところは大目に見てくださいませ。上手かどうかは別として一筆ごとに、感性のままに、気持ちを込めて書いています。
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すでに何百回と書いていますがなかなか納得のいく一枚が書けないものです。この先最高に上手に書けたときには今も健在の両親にプレゼントしようと考えています。そろそろ高齢になりつつあるので生きてる間に渡せるといいのですが。ちなみにぼくが毎朝書道していることを、両親は知りません。
冷静に考えてみると弟が生きていたとしても一生のうちに自分の名前を書く回数なんて知れてるんですよね。
だからぼくは弟が書くはずだった一生分をすでに書いたような気がします。
ぼくがあの世に行って再会したときにはめちゃくちゃ感謝されるでしょうね。いや、あるいはめちゃくちゃ気持ち悪いと嫌がられるという可能性もあります。兄貴が弟の名前を毎日書くなんて気持ち悪すぎると。
あの世で再会した時の第一声が楽しみです。
そしてぼくはこうも考えました。弟の人物評はこれからのぼくが決めていくことになると。
どういうことかというと、今日初めて出会った方は今のぼくを見てぼくの背後にあるすべてを判断したり想像したりすると思います。初対面の方はもちろんぼくの亡くなった弟のことを知りません。ということは今のぼくの人間性や人格を見て、この人の弟だったら恐らくこういう人間なんだろうなと想像すると思います。
亡くなった弟はすごく素直で、人懐っこく、笑顔のまぶしい男でした。限られた人としか深い付き合いをしないぼくと違ってとても友人が多く、周りから愛されていました。
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今のぼくを見て弟の評価が下がってしまうのは絶対に嫌なので、ぼくは誰よりも美しく生きていかなければならないと考えています。そして友の模範となれるような生き方をこれからも貫いていくつもりです。
弟もそれを望んでいるかな、と思いつつお墓で手を合わせて訊いてみますが明確な答えはまだ返ってきてません。